自転車乗りとしての意地が試されている気がしています

20090107takaido

久しぶりに都心まで自転車で出かけて来ました。 往復で40Kmちょいなのですが、久しぶりなものですから、帰りはすっかり疲れてしまいました。 情けない話です。 でも徐々に乗る時間を増やして(せっかく冬で天気が良いですからね)いければなぁと考えている次第です。

ところで。

相変わらず、同じ方向に走っている私以外の自転車乗りで、信号を律儀に守っている人は非常に少なかったです。 主に走っているのは甲州街道なのですが、環八や環七との交差点の様な大きいところ以外にも小さな信号が結構あるのです。 そして、そこそこの確率でそれなりに赤信号。 でも横断してくる歩行者や路地から出てくる車も特に無い・・・という状況の話です。

私は「仮に渡ってしまっても100%安全、且つ、その瞬間にその交差点に関わっている誰にも迷惑を掛けないとしても、それでも信号は守る。 従って、止まる。」という考えを意固地に貫いて自転車に乗っています。 私のこの行動の根拠は「そうやって、車両としてのルールを守り続ける事でしか、自動車のドライバーの理解を得ることは出来ない」と考えているからなのです。

たとえ、そうやって止まっているのが私一人だったとしても(いや、実際に私一人で、後から後からくる自転車の皆さんは何のためらいも無く赤信号を横断していきますし、その瞬間に特に危険はありません。 それは私にも判っているのです。)、いつかは少しずつルールを守る自転車が増えていき、やがては自転車という乗り物が自動車のドライバーから軽視されない存在になっていくのではないか? いや、絶対にそうなっていくはずだ。 と信じているからです。

ただ、大変残念ではありますが、これまでのところ、各種の赤信号を守る自転車乗りは殆ど見かけません。 それでも私は意固地に自分の考えと行動を守っています。 ただ、あまりにも他の自転車乗りの皆さんの行動が悲しいので、交差点で止まっている時は、常に空を見ている事にしています。 他の自転車乗りを見たくないからなのです。(ちなみに、私は歩いている時もたいていは空を見ている事にしています。 甲州街道の交差点で黄色い使い古したヘルメットをかぶって、ずっと空を見ている自転車乗りがいたら、まず間違いなく、それは私です。)

自転車は車両なので、本来車道を走る乗り物です。 ただ、長らく歩道を走ることが励行されていたフシがあり、自動車としても速度差があまりにある乗り物なので、車道を走られるとやっかいで迷惑な乗り物と認識されていると思います。 実際そうだと思います。 しかし昨年の道交法の改正に伴い、あらためて自転車は原則的に車道を走行し、歩道を走行するのは例外であることが確認されています。 (もちろん、なんでもかんでも車道を走らなくてはイカン!と言うことでは無いのです。 その点はリンク先にもいろいろと書かれている通りです。)

ですので、改めて車道を共有する自動車と自転車というテーマを確認していかなくてはならないと、個人的に考えている訳なのです。

Posted on Wednesday, January 7th, 2009 at 10:50 PM. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.

2 Responses to “自転車乗りとしての意地が試されている気がしています”

  1. zen says:

    どもです。
    たまに車で仕事に出ると、帰りの甲州街道の信号無視自転車の多さにびっくりします。
    明るい時で見通しがよいならまだしも、ほぼ真っ暗でも減速なしで突っ込んで来る人もいます。
    きっと彼らは自分が普段車に乗らないのだろうなあ、と思いつつ眺めています。

  2. shun says:

    信号の無い交差点では、おっしゃる通り全く原則せずにそのまま出てくる自転車乗りも大勢いますね。

    残念ですが、ある種の想像力が全く欠如してしまっているのでしょうけれど、それでもそういう方は事故に遭わないものです。 私の様に意固地に信号を守っている方が、やがてどこかで事故に遭うでしょう。

    人生とはどうやらそういうものらしいです。(笑)

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