120年間

 森博嗣氏著の「カクレカラクリ」を読んだ。 コカコーラの120周年にあわせた書き下ろしとは知らなかったが、そんなことはどうでも良くて、小説を通して提示される「120年後の確実な動作を担保するメカニズム」が気になっている。 詳細は読んでいただくしか無いが、果たして現在のテクノロジーを駆使したとしても、120年後に確実に動くモノを作れるのか否か、自分には正直判らなかった。 120年とはそれほど長い年月なのだ、と実感する。

 しかし、小説として以上に提示されたこの謎そのものが快感で、今でもぼんやりと考え続けている。 小説中で森氏は一つの解を提示されている。 それはそれで納得できるが、幾つか気になる点もあった。 ただ、「だから」小説の質が云々という話ではない。 別途提示されるフェールセーフ機構に関しても同様の感想を持ったが、つまり「では自分なら、どんな機構を考え得るか?」という事なのだろう。 小説は、”小説として”構築せざるを得ないので、例えば、機構や材質などの細かい点などを省いて記述しなくてはならない場合がある。くどくどとそれらを説明していては、小説としての本来の面白さが無くなってしまう。 つまり、設計図では無いのであって、設計図は読んだ各人のうち、この提示された謎に反応した一部の人間が書くべきものだ。

 自分はプログラマなので、多くの環境に依存している。 そもそも電気が無くてはダメだし、さらにはコンピュータであり、OSであり、コンパイラ(なり、インタプリタなり)であり・・・といった具合。 しかし、カラクリは単独で成立させなくてはならない。 この”単独で成立し得る”という条件に、無性に惹かれているのだと思う。

Posted on Tuesday, June 3rd, 2008 at 8:23 AM. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.

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